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選ばれたこと 二

「来たよ。」




ここだ。ここから誰かが私を呼んでいる。
でも何もない。あたりは鬱蒼としてしっとり濡れた森だ。空気は突き抜けそうな透明。
初めて来る場所だ。まあ用事ができそうな所じゃあないんだけど。

「どこ? 誰がいるの?」

誰もいそうにない。研ぎ澄まされた感覚を持つ私だからわかる。
人の気配なんてまるで無い。
…いや。生きた気配はないけど、人はいた。
「… こいつか?」

ひときわ大きい苔むした大木の傍に、私と同じリンクルが倒れていた。
もちろん生きちゃいない。服装からして男だろうが、随分年寄りのようだ。
じっとり濡れている空気の中でずっといたからか、お世辞にもあまり綺麗な姿じゃなかった。

「…。」

哀れではあるが、かといってどうとも思わない。
それよりも、私を夢でまで呼んだ声はどこにいるんだろうか。
この森に入ってから、ずっと聞こえていた声が薄らいで今は聞こえない。
でも間違いなくこのあたりなんだけれど。

…いや、ちょっと待って。

さっきからしきりに心がざわついている。
違う、声が聞こえないだけで「誰か」はまだ私を呼び続けている。
目を細めて、務めて”色”を見た。ただの色ではない。
数少ない色視能力者にしか見えない色だ。
もしかしたらあの…白い霧がどこかにあるかもしれないと思った。
辺りを見渡した。様々な色が溶け合っている。流動している。
足元にいる男だったものはうっすらと白を纏っている。だがもう、残留していたものすら消えかけているという感じだ。


顔をあげて愕然とした。


男を見下し聳え立つ、苔むしたこの大木の色は真っ白だった。
そしてその周りには…あの焦がれていた、夢の中でまで私を呼んでいた白い霧。
とても濃い。烟る様なムスクみたいな色だ。
ひどく強い香りが、居場所を固定できず流動しているようだった。


「お母さん?」


自然と口をついて出た言葉に驚いた。
この木が、私の母?そんなバカな話はない。
でも母を…知らない。私は母も父も知らない。
…今考えても仕方の無いことか。

大木に凭れ、哀れな同族の隣に座り込んでしまった。
休み無く走ってきて、髪も服も乱れていた。
それを認識すると一気に疲れを感じたのだ。
この木の傍はひどく心地良かった。
一日以上何も食べていないが空腹を感じないし、疲れも少しづつとれていく。
顔にかかる長い前髪を耳にかけた。
髪も耳の羽根も、むせ返るような湿気でしっとりと重い。


母に抱かれるとこんな気分なのかなと思った。
私を呼んでいた白い霧は間違いなくこれだ。
とても恋しくて、離れることができなかった。
今は声が聞こえない。でもここにいれば私を認めてくれるはずだ。
認めてくれるまで、待てばいい。
また声が聞こえてくることを、確信していた。


選ばれたのは私なのだから。


| 創作覚書 | 22:14 | comments(0) |
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