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妖怪は憂鬱 一
俺様がこの娘とともに目覚めて十年、娘の生活はひどいものだった。
なにせ、この娘…ミリルを管理する男は、最初こそは優しかったものの、見知らぬ人間の病を娘に吸わせ、しまいには鞭を打っての虐待までしていた。
娘の世界はこの男と建て直された社、その奥の暗く鍵のかかった部屋だけだ。
もっとも、俺様の世界も同じだった。その上封印の力は強く、外の世界はおろか娘にすら干渉できない始末。なんとも長い十年だった。

その世界が唐突に終わった。娘が吸い続けていた病が邪気としてたまり続け、封印に綻びが出たのだ。
そもそも、病や呪いの類を吸うという体質になったのは、俺様を封印しているせいだ。というか、この封印の力があまりにも強すぎて、俺様以外の悪い性質のものまで体に封印してしまうからのようだった。だが、封印している方の娘には許容量がある。それが溢れてしまった、というだけの単純な話だ。
綻びから溢れたものはすぐに大きな奔流となり、娘の周りで暴発し、唐突に10年の生活が終わったというわけだ。
暴発の直後、俺様はすぐに封印の内側から娘に話しかけた。
「ここから逃げちまえ」と。
綻びから封印を解いてしまおうかとも考えたが、恐らく無理であろうことを直感し、暫くは娘と生きる道を選んだのだ。
聞こえたのか聞こえていないのかはわからなかったが、娘はその場から逃げた。
ひたすらに逃げた。娘を管理していた男がいた村は、大きな爆発がそこかしこで起こったようで、燃え盛っていた。娘の心を支配していたのは恐怖と、これまでの生活から逃げられるという少しの希望。
俺様はひたすら、「振り向くな、全部捨てて逃げろ」と娘に叫び続けていた。…聞こえていたのかどうかは判らないが。


俺様が次に気づいたのは、小さな家の中だった。
いつのまにか気を失っていたのだろう、娘の目覚めとともに俺も目覚めたようだ。

「まあ、大丈夫?目が覚めたのね」

人のよさそうな声に娘が振り向くと、そこには声の通りの人のよさそうな痩せた婆さんがいた。

「大丈夫?あなた三日も眠っていたのよ。あらまあ、やっぱり美人さんねえ。」

婆さんは、濡れ布巾で娘の汗ばんだ額を拭った。

「あ…の…。…ごめんなさい」

娘はそれだけ言うと俯いた。

「何も謝ることなんてないわ、自分のことはわかる?お名前は?」

婆さんはあくまでも優しく、娘の髪を撫でる。

「私…は… ミリル、です。」
「ミリルちゃんね。あなた、道端で倒れていたからうちの人が連れて帰ったのだけど…気分は悪くなさそうね。何か、あったの?」
「あの… 私…わかりません…ごめんなさい…」

ここで俺様は気づいた。こいつは、目覚めてからずっとあの管理者の男としか喋っていないようなもので、その内容は「病を吸うのが嫌だということ」と「謝ること」くらいだ。語彙も少なく、そう、人との接し方が判らないのだ。…いや妖怪である俺様が言うのも何だが。つまり、世間を全く知らないのだ。
その上、都合悪く…いや今は都合がいいのかもしれないが、記憶が曖昧になっているようだ。まあ、邪気を暴発させたのが自分だなんてそもそも気づいてもいないだろう。その衝撃で記憶が曖昧なのかもしれない。

その夜、これまた人のよさそうな爺さんが帰ってきた。

「そうか、わからないか…てっきり、あの大規模な火災のあった村の娘かと思ったんだがなあ。」

ううむ、と顎鬚を撫で付ける爺さんの耳は、獣人のそれだった。狼か何かのような尾もある。
婆さんがこの娘の姿を見てあまり驚かなかったのは、これが理由だろう。

「怪我もしていませんしね。でも困ったわね、帰る所もわからないみたいだけれど…」
「別にウチにいてくれたって構わないんだ。若い娘を放り出すこと、お前にもできんだろう。」
「まああなた、よく私のことをご存知ね。」

ふふふ、と幸せそうに笑いあう老夫婦を、娘は眩しそうにみつめる。
俺様の知る限り、この娘が目覚めてから初めて見る幸せな光景だ。

「ねえミリルちゃん、何か思い出すまでここで暮らしなさいな。いい暮らしではないし、家事を手伝ってもらうことになるけど…どうかしら。」
「でも、私…何もわからなくて…」
「だからだよ。帰るところを思い出したらそこに帰りなさい。これからどうするかも決まってないんだったら、暫くここにいた方が良いよ。つい先日も、近くの村で大きな火災の事件があったんだ。外をふらつくのも危ないんだから、な?」

婆さんと爺さんは、どうもこの娘が気にかかるらしい。全く、人がいいってのは難儀なこった。

「あの… では、少しの間…よろしくお願いします…ごめんなさい…」

娘は深々と頭を下げた。ああ、こうやって謝る姿を何年も見てきた。でも今回は、確かな感謝が込められている。何故か、感慨深かった。

| 創作覚書 | 23:12 | comments(0) |
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