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ふたり 四
重いまぶたを開いた。睫に滲んでいた水滴が、ぽたぽたと落ちる。
じっと自分を見詰めるルクスが滲んでいる。

「思い出したか」
「…ええ」

思い出した。どうして赤子であったときの事を覚えているのかはわからないが、覚えている。おそらく老師の元へ預けられる前の、デュカ自身の記憶。
はっきりと、覚えている。白い世界でふたりで居たこと、手のぬくもりにやわらかい頬っぺた。私が泣くとあなたも泣き、あなたが笑うと私も笑った。
 
「…あなたは、私の片割れ」
「そうだ。今となってはどっちが姉で妹かわかったもんじゃないがな」
「どうして…今まで」
「忘れていたのは、今までの私達に不必要な記憶だったからだ。私だって思い出したのはつい最近さ。封じられていたんだから。」
「…誰にですの」
「…黒髪の女にだよ。」

唐突な情報が多すぎる。
溢れていた涙を拭い、改めてデュカはルクスを見た。

「両親や種族の話は…嘘ですわよね?」
「そうだ」
「…私、赤ん坊の頃に人に預けられました。さっきのはその前の記憶ですわね?」
「そうだ。…お前は、セイルーンの前最高神官に預けられ、そのまま幸せに育った。」
「…あなたは」
「私はお前とわずかにずれて、保護施設に捨てられた。その後はね、デュカ。お前と正反対さ。」
「…」
「物心つかねえうちに、人身売買にまきこまれ、奴隷になった。いっそ死んだほうが楽だと考えていたよ。そう、お前がぬくぬくと暮らしている間…その奴隷から逃げ出し、物乞いや泥棒をして、最終的に人を殺して金を稼ぐ生活だ。光の中生きる大神官と、闇の中生きる人殺し。…そうなる運命だったんだよ、すべてはあの女の意思でな。」

ルクスの表情は、暗く歪む。

「あの女って…」
「わからない。黒髪のきれいな女だった」
「…」

頬を包んでいた手を離し、自身の胸に手を当てて、ルクスは目を閉じる。

「お母さんは…私達の母は、魔力だ。勿論、それ以前に本物の母はいて、その腹に私達は居た。本物の母は私達を捨てたのさ。それを育てたのが、今私の中にある魔力。…ま、意味はわからんだろう、私もよくわかっていない。多分、魔物と同じさ。」
「…魔物と。」
「循環から外れた魔力が吹き溜まるのは知ってるだろう。それに狂わされ、生き物が異形になり、魔物と呼ばれる。」
「…」
「私達は、元は人間だったらしいよ。本物の母の腹に居た頃は。ただ、それは昔の話。300年間、濃い魔力の中に漬け込まれて私達は異形になった。」
「でも、そんな。300年なんて…そ、それにリンクルはもっと昔から居るはずですわ…」
「そうやって作られたリンクルが、繁殖して今に至る。私達は…リンクルの純体と言うらしい。あの女がそう言っていた」

何も言えずにいるデュカを、同じ瞳が見詰める。
そこには憎しみと、少しの悲しみがちらついているように見えた。淡い燐葉石の双眸は、あの頃はあんなにも輝いていたのに。

「ぜんぶ、あの女が教えてくれた。私達を育てた、お母さん…強い魔力の吹き溜まりの主さ。不安定だけど、魔力が意思を持つなんて、知っていたか?この世界のすべての魔力が明確な意思を持てばどうなるだろうな?」
「…あまり考えたくありませんわね。」
「そうだろう。その魔力が実体まで持てばどうなるか。それは神と呼ばれてもおかしくない。」
「…」
「私は一月ほど前に、呼ばれた。あの女とお母さんは、私を選んだ。闇の中生きる私の方が、より世界の頂点にたつと。確かに!お前じゃそんな気も起さないだろう。」
「…」
「だが、ヒトとしては兎も角、私一人では器として足りないらしい。」

そう笑うと、突如ルクスはデュカを抱きしめた。その耳元で、ゆったりと囁く。

「暖かい。あの頃のままだ。 …いいたい事はわかるだろう。お前を、私に取り込む。」
「その為に、私を」
「そうさ。そのまま放っておけば抵抗勢力にも成りうるんだ。私が神になるには、お前が必要なんだよ。」

背中にまわされた手に、力がこもる。
赤ん坊の頃の記憶を取り戻していなかったら、きっと恐怖を感じていた。でも今は違う。
闇に生きてきたルクスは、さらなる闇へ沈もうとしている。一見、それは彼女の意思にみえるだろう。でも。

「…どうしてですの?」
「何がだ」
「私を呼び出すのが目的だったんでしょう。でもあなたは状況を引っ掻き回しすぎているように見えます」
「…。」
「私たちの記憶操作をして、オルフェさんに伝言を残して、追ってきて下さった方々をあおるような事をして。『早くおいで』とまで。」
「…。」
「そんなことしなくても、私をどうにかしてしまえばいい。…違いますか?」

隙がなさそうなルクスの行動だがその実無駄が多く、そこにどういう感情が存在するのか…デュカは感じ始めていた。
しばらく黙ったのち、彼女は口を開く。

「…怖いんだ。私は操られているだけかもしれないと。そう言えばお前は笑うか。」
「…笑いませんわ。」
「ずっと一人だった。お前の事を思い出して、お前がたまらなく愛おしくなった。お前の境遇と私の境遇を比べるたび、お前が憎くなった。」
「…」
「お前は、いろんな人間に囲まれていた。私には、お前しかいないのに。」

抱きしめる腕にさらに力が篭る。

「一国の女王の寵愛を受け、周りの人間に大切に想われて、不幸なんてない…お前は恋までしていたんだ。私には…お前しかいないのに!私はね、デュカ。許せなかったんだよ。幸せなお前も、お前に愛される周りの奴らも!だから…」

声がつまり、小さく肩が震える。
ああ、このひとは不器用なひとだ。
育った環境は全く違い、確かに自分は恵まれて幸せだ。だから彼女の過酷な人生は想像がつかないし、逆も然りだろう。

「あの女の望み通り、お前を取り込めば、お前は私の中で生きる。そしたら邪魔なんてされない。私は一人じゃなくなる。」
「…他の道は、もう無いのですか?」

暗くぎらつく声の彼女を、残った腕で抱きしめ返した。たった一人血を分けた姉妹を、このままにしたくなかった。

「これから、別の新たな一歩は踏み出せないのですか?」
「…。」
「冷たい場所で居て欲しくない…暖かい場所なら、あります。」

子供をあやすように、背中を撫でる。あの頃とかわらず、ルクス自身も暖かい。

「私も、あなたがたまらなく愛おしい。昔みたいにあなたの傍に居れたら嬉しいですわ。」
「…そんな事、住む世界が違いすぎる私に簡単にできると思うか?」
「簡単だとは思いません。でもこのままを望んでいないでしょう。怖いなら、一人だけで耐えないで下さい…私だって、あなたのそばにいたい。」
「もう、遅い…」

ルクスの呟きとともに、軽く突き飛ばされた。
燐葉石の瞳から、はらはらと涙が零れるのを見た。
ひとつぶ、しろい地に落ちて、同時に、白い世界が揺らぎだす。

「お母さんは世界中の魔力の収束を始めている。私とお前が融合して依代になって、すべての魔力が統合されて意識を持って…流動せず自由になる。それがお母さんとあの女の意思だ。」
「でもそれは、あなたの意思ではないじゃありませんか!」
「構わない…お前を取られるより、ずっといい」

暗く笑い、自身の首元を探るルクス。
藤色の一粒の宝石が光るネックレスを、引きちぎった。細いチェーンは容易く壊れ、地面に落ちる。

瞬時に、ルクスの藤色の髪は、煌めく白に染まる。いや、藤色が抜けたのだ。
言葉を失うデュカの頬を、再び手で包むルクス。その瞳には、ぎらつくものはもう無い。

「意思なんてなくなってもいい。おまえがいればそれでいい。私と一緒に居てくれ。幸せだった頃みたいに。ずっと。」

それは、ただ親にすがる子供のように見えた。

「居てくれ…」

ルクスの唇がデュカのそれに触れる。
驚く彼女の、燐葉石の瞳を縁どる睫毛が、白くなった。
それは緩やかに髪へと広がり、彼女を彩っていた珊瑚色は消え、揺らぐ白い世界には白い髪の娘二人が見つめ合って居た。


その時、異質の声が響く。

「見つけたわ!!!デュカ様!!!」

驚いた二人が見やった先に、異空間の綻びができていた。その向こうにあるのは、街道の緑色と、鮮やかなオレンジの髪。

「…ニナ!!」
「…っ!!しまった」

思わず部下の名を呼ぶ、神官の顔に戻ったデュカを見、ルクスの瞳には再び暗い光が宿る。

「もう逃がさないわよ」

綻びを切り裂き広げるように、氷の刃が進入する。白い世界に鮮烈な青を広げて。

「渡さない」

魔力が噴出し、ルクスの髪は逆立った。

「…なんて、濃度…」
「危ないから下がれ。もう色を見る必要はない、私から離れるな。」

呆然と呟く神官見習いを守るように、ケンジが剣を構える。
噴出しつづける力は膨れ上がり、裂け目から現世へと溢れ出るのを、デュカは見た。

「絶対に渡さない!!」

ルクスが吼える。

「まずっ…」
「うわっ!!!」

その声に呼応するように、膨れ上がった魔力に耐え切れず白い空間が破裂を始めた。
| 創作覚書 | 20:37 | comments(0) |
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