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国王の浸食 一
「警備隊長に昇任した報告と、プロポーズを同時にやるとは。そなたらしいな。」

国王陛下の私室。私は年に数度、この場に仕事ではない用事で訪れる。
客は座っておけ、と言われて座った私の目の前に、簡単にはお目にかかれなさそうな赤ワインのボトルが置かれた。
 
「さ、これは私からの祝いだ。飲もう。同じものがもう1本あるから、それはそなたの妻となる女性と楽しんで欲しい。」
「こ、このような……!もう、陛下からは昇任祝いも結婚祝いもいただいております……!」

私は驚き、椅子から立ち上がる。私情を国政に持ち込んだりはしない方だから、他の意図が無いのはわかってはいるが、これは身に余ることだ。

「その祝いは、国と、国王からの形式的な祝いだ。これは私の、そなたの友としての、個人的な祝いだ。」
「陛下……。」
「私もそなたとこのワインを楽しむのだ、いらぬとは言わせんぞ。これは、そなたが結婚する時に贈ろうと思って、昔手に入れたものだ。……12年たっておるから、そろそろ飲み頃かもしれぬ。良いタイミングだ。」

テーブルにあらかじめ準備されていた、ふたつのワイングラス。ポン、とコルクが抜かれる良い音がし、グラスに注がれた深い赤の液体が揺れる。自らワインを注がれる陛下は本当に嬉しそうで、私はありがたくご厚意を受け取ることを決めた。

「身に余る光栄でございます。」
「はは、深く考えすぎだ。そなたといい酒を飲みたかっただけだ。」

年に数度、陛下は私を呼ばれ、ともに酒を楽しむ時間をとられる。国王陛下が王子殿下であった頃から……当時はワインではなくジュースだったが……ずっと緩やかに続いている、小さくて静かな宴。仕事の話も、仕事ではない話もして、陛下が国王の仮面をとられる時間だ。

「さあ、座れ。乾杯だ。」

笑う国王に、若き日の王子が重なる。



**********



「そなたも結婚することになるとはな……。」

陛下が3杯目のワイングラスを傾け、遠くを見て笑う。少しだけ、寂しそうにも見えた。

「あれはいつだったかな……ああ、私が学生の時だ。隣国のスクールに通っていた時、そなたが何度か護衛についてくれていただろう。いつかの帰り際に、女生徒2人から同時に告白されていたことを覚えているか?」
「……覚えております。」

しっかりと。私は20歳になったばかりだった。もう16年も前のことだ。
私がうっかり浮かべてしまった苦笑いを見て、陛下が悪戯っぽく笑う。

「そなたときたら、『ここに来るのは仕事ですし、仕事が楽しくて結婚のことは考えられないからお付き合いはできません』と即答で断っておった。お嬢さんがた、2人で抱き合ってわんわん泣いて大変だった。」

そう、その通りに私は答えてしまったのだ。王子が泣く2人を宥めてくださり、私はおろおろとすることしかできなかった、苦い思い出だ。

「……あのときは、私もびっくりしてしまって、思ったことをそのまま口にしてしまったんですよ。もっと考えて、優しく答えるべきでした……。」
「いいや、あれでよかったと思うぞ。変に気を持たせるより、いっそよかったんじゃないかな。……はっきり断られた方がな、前を向けるのだ。」

くつくつと楽しそうに笑う陛下だが、声のトーンにふと悲しみのような何かが滲んだ。その表情はいつもと変わらないように見えるが、こういう時、本当は何かの感情を隠しておられることを、私は知っている。
このお方は、私が初めてお会いした、王子であった頃から……何かを抱えている方だった。時々、穏やかな表情のその奥の奥に、何かを隠して振舞われる。
前国王が崩御され、17歳という若さで国王に即位されてしばらくした時、私はその何かの片鱗を目の当たりにしてしまった。ようやく落ち着いたからと久々に陛下の私室に呼ばれ、訪れた私の顔を見たとたん、陛下は突然涙を流されたのだ。静かに泣き崩れたそのお傍に、何も言わず付き添った。前国王を想っておられるのか、突如背負うことになった国王という重責か。少しして落ち着いてから、「すまなかったな」と、笑った陛下の表情は、穏やかでいつもと変わらない。だが、そのずっと奥に、何かを隠してしまわれたのだ。私には知る権利などなく、陛下も何も語られない。ならば、私はこのお方をできる限り支えようと誓ったのだ。

「陛下にそう仰っていただけると、私も救われます。」
「まあ私は、おろおろとしたそなたを見るのは初めてだったし、少し面白かったがな。」

いつか、抱えておられる何かから救われてほしい。おひとりで抱え込み隠すことなく、心から笑えるよう、私は祈り、支えることしかできない。

「……そういえば、城に戻った時に笑われたことを覚えております。」
「ははは、あれは悪かった。どうにも、恐縮しっぱなしのそなたが面白かったのだ。」

ワインを飲み干し、ふうと一息つく陛下。すっと、赤い瞳が細くなる。

「スクールも、通いきることはできなかったが、楽しかったな。そなたも私も、青かったのだ。」

いつもは丁寧に隠されている、何かの感情が、今日は。

「……戻りたいな、あの頃に。そうしたら、私はやりなおせるかもしれない……。」

普段は口にされないような、弱音のかけら。
ああ、このお方は助けを求めておられるのか。10数年、おひとりで抱え込んでおられた重荷を、私に分け与えてくださるのか。

「陛下。」

腹をくくった。いや、そんなものはとうにくくっていた。

「これは、私を友と言って下さるあなた様への、個人的な思いです。」

少し驚いたような表情で私を見る陛下に、私は真剣な眼差しを返す。

「どうか、苦しみを吐き出してください。せめて、苦しい、とだけでも。」

そうだ。言いたくないことは出さずとも、苦しい、つらいという弱音まで押し殺してほしくはないのだ。

「私は、臣下としても、友としても、あなた様を支えたいのです。」

瞳の赤が、ゆれた。その表情は、いつものような何かを隠すものではなく、一歩踏み出した私への驚きであり、誰かに荷を託せるという安堵のようであった。

「……そなたが友でよかった。私は、こうやって共に語らってくれるだけで、十分に救われておったのだが……そなたは、それだけでは許してくれんのだな。」

届いたのだ。私の10数年来の友への思いが、ようやく目の前のお方に届いたのだ。私が愛する女性との結婚を祝って下さった、この日に。こみあげそうな涙を飲み込み、私は陛下に笑って見せる。

「ずっと、あなた様のお力になり、もっとお支えしたいと思っておりましたから……。」
「まったく、オルフェ・ヴェンデルローズがこのように恐ろしい男だったとは。」

おどけたように陛下は笑い、そのあと、真っすぐな視線を私に投げかけられた。

「そうだな、では少しだけ聞いてくれるか。
 ……愛している人がいたのだ。もうその人はいなくなってしまって久しいが、近ごろとみにその人を思い出してしまうのだよ。」

亡くなられた王妃殿下のことを想っておられるのかと一瞬思ったが、すぐに違うと思い直した。この口ぶりは、だれかほかに想うひとがいたということだ。陛下は即位されてすぐ、国外の貴族の娘を娶られた。「以前から結婚の話はあったのでな」と笑っておられた陛下だったが、やはり何らかの事情があったのだ。

「思い出されると、おつらいのですか。」
「……そうだな、つらかった。私はその人を不幸にしたのだ。だが、それはもう昔の話だ。」
「……他に、何かつらくなる理由がおありなのですか?」
「その人にね、とても似た人がいるのだよ。」

少し自嘲するような表情を浮かべ、陛下は続ける。

「あまりにも似ている。気を抜けば、いなくなったあの人だと思ってしまうくらいに。だが、私はその似た人に、もっと別の、穏やかな感情を持っている。大事にしたいし、しなければならない。わかっている。わかっているのに……。」
「……重ねて見てしまうのですね。陛下は、その似た方を今の形で大切にしておかれたくて。」
「そうだ……。」
「いなくなってしまった方は、いなくなってしまった方として大切にしておきたい。そのおふたりを、別々の人間として大切に。そのお気持ちが揺らぐほどおふたりが似ていらして、揺らいでしまうご自分を責めておられたのですね……。」

王妃殿下とは恋愛結婚ではなかったのを察してはいたが、他に愛している方がいる、とは全く知らなかった。このお方はそれを隠し続け、しかし時に隠しきれないゆらぎを、私は見ていたのか。

「……そういうことだ。自分が情けなかったのだよ。ああ、不思議だな。そなたに言葉にされただけで、随分と冷静に自分の状況を見ることができる。」

陛下は、笑った。柔らかく、ほっとしたように、穏やかに。

「……そうだ、そうだな。私は、よく似たあの人に、幸せになって欲しいのだ。愛した人を不幸にした。あんなことは、もう二度と繰り返したくない。大切な者を傷つけたくない。優しくありたいのだ。」
「陛下。陛下はもともとお優しいのですよ。私はずっと見ておりましたから。だからこそ、苦しんでおられたのでしょう。」

赤い双眸に、涙が浮かび、銀色の睫毛を優しく彩った。一筋、二筋と流れるそれを拭って、憑き物が落ちたような笑みを、陛下は見せてくださった。

「ありがとう。ずっと自分の中だけで咀嚼して、私はおかしくなってしまっていたのだな。私は、この国の王として誇りを持って生きてゆきたい。そなたにも、臣下にも、国民にも、大事な娘にも、自分にも恥ずかしくないように。これが、私の願いだったのだ。」

先ほど飲み込んだはずの涙が戻り、私の頬を流れる。

「何だ、そなたが泣くな。これから結婚する36の大男が泣いていては、新妻が逃げてしまうぞ。」

まだ水滴を睫毛に散らしたままの陛下が差し出して下さったハンカチを、私はありがたく受け取った。

「さあ、この話はここまでにしよう。今日はそなたの祝いなのだからな。随分年下の娘を娶るのだから、色々聞いてやろうと思っておったのだ。……ああ、もうワインが空になった。」

わずかに残ったワインをグラスに注ぎ、陛下が名残惜しそうに笑う。

「とても美味しいワインでした。……このワイン、かの国の、毎年20本しか出回らないと言われている、貴重なものなのでは……?」
「よくわかったな。昔訪問した時に、手に入れることができてな。あの時ほど、国王をやっていてよかったと思ったことはないぞ。幸運なことに、当たり年なのも良かったな。」

……一目見た時から、うすうすそんな気はしていた。陛下がいつものワインと同じように扱われるものだから、私もつられていつものように飲んでしまったが……。

「……もっと、大事に飲ませていただくべきでした。」
「そなたと飲むのが一番楽しい。その時間に相応しいワインだ、良いではないか。」

……そうかもしれない。私の結婚を祝ってくださり、氷解し、ご自分を取り戻された陛下を飾るに、なんと相応しかったのだろう。

「ありがたき幸せに存じます。」
「全く、そなたは大袈裟だ。……しかし、とても美味であったが、もっと熟成させても良さそうだな。もう1本は、結婚10周年まで取っておくのを勧める。」
「では、その時は、是非陛下にも。妻も連れてまいりますから、3人で……いえ、王女殿下も成人されている頃ですから、4人で頂きましょう。一緒に、祝っていただけますか。」
「それは良い!約束しよう。10年後の味が今から楽しみだな。」

グレードは落ちるが、次のワインはあるぞ。そう笑いながら、小さなワインセラーから新しいワインを取り出された陛下を見て、私は想う。この先の10年は、このお方の幸せと笑顔をお守りする10年にするのだと。

そのあとは、ふたりして、明け方まで語り明かしてしまった。
この2日後、王女殿下が呪われる事件がおき、友と続けたささやかな宴はこれが最後になるということを、私はまだ知る由もない。
 
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