<< 国王の浸食 三 | main | たまには何の変哲もない日記もよ >>
高貴な光が失われる日
すべてを隠さずに語ろうとは思わないし、かつての過ちは誰にも告げずに墓まで持ってゆく。
だがそれは、すべてを一人で抱え込む事とは違うのだと、30年生きて私はようやく理解できた。
教えてくれたのは、臣下である唯一の友。他愛ない話をしながら酒に付き合ってくれるだけで、暫し国王ではない自分でいられる。それだけで救われており、それだけで十分だと思っていた。
しかし、友は私を、沼に沈みゆくしかできない私の手をつかみ、引きあげてくれた。
……友がいて、よかった。オルフェが友でいてくれて、よかった。

「ふむ。」

長年の蟠りが嘘のように晴れ、徹夜であったというのに気分は悪くない。
一人になった私室。カーテンを開けると、夜明けの光が優しく部屋に満ちた。窓から望む城下には、早起きの人影がちらほらと動いている。その中に、見覚えのある大きな人物を見つけた。

「いつも早いな……。」

ベルンハルトだ。日課の散歩だろう。傍には、小さな子供がくっついている。
数年前、ベルンハルトの下に突然預けられた子供、デュカは、育ての親と同じ神官になりたいそうだ。本人がそう話しているのも聞いたし、よく娘が嬉しそうに話してくれる。本当は自分に弟がいる事を知らない娘は、赤子の頃から見ているデュカを、妹の様に思っているようだった。
二人が建物の陰に消えるのを見届け、ふと、娘にも大切な友ができることを願う。それはあのデュカかもしれないし、違う誰かかもしれない。友ではなく、恋人だったりするかもしれないが、それでも勿論良い。私の次にこの国のすべてを背負うことになる娘を、心から支えてくれる誰かがあらわれてくれるように。

視線を部屋に戻す。今日は休日だし、久々に城下を歩いてみようか。娘はよく出歩いているようで、昔の私とそういうところはそっくりだ。よし、今日は城下を歩こう。
そう考えたとたん、急に眠気を感じた。……眠っていないのだから、当然といえば当然だ。城下を歩くのは少し後にして、3時間ほど眠ろう。
ランプの灯りを消し、寝室の扉を開く。

私のベッドに、亡くなった妹が座っていた。
心臓が跳ね上がり、咄嗟に懐からナイフを出し構えた私に、妹がゆったりと微笑んだ。

「お兄様、ずいぶんご機嫌が良いですわね。」

ばくばくと自分の脈音が聞こえ、静かな部屋に響いているような気すらする。私はナイフを強く握りしめた。

「……そなたは、あの時の。」

私の脳裏に、12年前の光景が広がる。
首から血を流し、動かなくなった妹。その妹と生まれて間もない息子を抱く、妹が。

「私はお兄様の妹ですわ。」
「そなたは妹ではない。」

この緊張を気取られてはならない。目の前にいる妹の姿をした者は、私達の秘密をすべて知っている。

「おかしなお兄様。」
「息子を、返せ。」
「お兄様の下に戻ることはありませんわ。あの子は元気に育っていますから、安心なさってね。」

12年前の、息子が生まれた翌日。妹は自害し、妹の姿をした者は生まれたばかりの息子を抱き消えた。もし捜索すれば、私たちの秘密は国中に知れ渡ることになる、と言い残して。それはつまり、取り返しがつかないほど娘を傷つけることにつながる。
王の力など、無力だった。

「……息子の命を奪うようなことがあれば、今度こそ容赦はせぬ。」
「いやだ、そんなことしませんわ。ねぇお兄様、あの子のこと、名前で呼んであげて下さらないの。」
「息子を直接呼べばそれでよい。」
「娘には、ノイズ……雑音。息子にはフェイル……失敗。それが、妹である私の想いですわ。」

妹の姿をした者が、妹ではない微笑みで私を見ている。
娘にノイズと名付けたのは、他でもない妹。「お兄様にとっての雑音になればいい」と、私を怨み私の前で名付けた。
息子にフェイルと名付けたのも、妹。「お兄様を信じて愛してしまったのは私の失敗だった」と言い残し、直後ナイフで自らの首を。

「名前は、妹が娘と息子へ贈った最初で最後のものだ。だから私は、その名前に負けることなきよう、父親として娘を愛している。無論、息子もだ。」
「……迷いがなくなったのね。そう、それだったら……。」

妹の姿をした者がこちらに手を翳す。だが、私はそれより早く動いた。
手にしたナイフに込められるだけ魔力を込め、翳された女の手のひらにそれを刺す。
バチンと魔力が弾ける音がし、目の前の妹は、黒髪の見知らぬ女へと変貌した。

「……そなたの魔力、封じさせてもらった。」

魔力のほとんど抜けた体は重く、ふらつきそうなのをこらえ、黒髪の女を見据えた。
女は驚いた様子もなく、手のひらに刺さったままのナイフを眺めた。装飾のメノウが、淡く点滅している。

「あの時のナイフに細工をして、魔力封じのアイテムに作り替えた……といったところかしら?」

彫刻のような美しい顔に、夢見るような笑みを浮かべる女。魔力を封じられても動じないその態度に、私は恐怖のようなものを感じた。

「そうね……『動かないで。』」

女は立ち上がる。ナイフの刺さっていない手が、私の頬を撫でた。私は避けようとし――動けない。

「私が普通の人間だったら、ジ・エンドだったのでしょうね。でも、残念だけれど……あなたでは私を封じることなんてできないの。私は世界を覆すのよ。私の言葉は魔法。私の存在は魔力。そうさせたのは……ああ、だれだったかしら。」

女は指で私の唇をなぞり、うたう。
体が言うことを聞かず、ぴくりとも動けないことに恐怖がこみあげ、私の手のうちにはもう何のカードも残っていないことに、絶望を感じた。

「見縊っていたわ。あなたは心が脆く、自ら破滅の道を進むと思っていたのだけれど……。自分で造った劣等種に邪魔をされることになるなんて。うまくいかないものね。それとも、この世界はうまくいっているのかしら。」

女は腕を私の首に回した。にっこりと笑ったとたん、目の前の女は、我が娘の姿に変貌した。

「夢を見せてあげましょう。あまい、あまぁいゆめを。『抗わないで、すべて委ねて。』」

微笑む娘の言葉に、脳が揺れ、意識が遠のくのを感じる。強い魔力を感じた。危険だ、抗わなくてはならない!そうわかっているのに、私はなすすべなく動けないでいる。

「『あなたは、私だけを愛して生きていくのよ。いつか、国も捨てて私と幸せになるの。』」

違う、私は娘に親の愛を惜しみなくそそぎ、この国の王として誇りを持ち、国を愛して生きたい。友がその想いを聞いてくれたのだ。

「『あのときはあなたと幸せになれなかったから、今度こそあなたは私を幸せにするの。』」

微笑む娘の顔に、かつての妹の笑顔が重なる。今度こそ、私が、そなたを……?私、私がしたかったことは……。

「『あなたは、私だけを愛して生きていくのよ。』」

ああ、そうじゃないか。私は、妹を不幸にしたのだ。だから、私は今度こそ。そなただけを愛し、そなただけを幸せにしよう。

「『さあ、お兄様。娘として生まれ変わった私を愛してくださいませ。』」

愛する妹を抱きしめようとすると、その存在は忽然と消え去った。部屋には私以外には誰もいない。夢を見ていたのか?ふと、自分が何かを握りしめていることに気づいた。鞘に収まったナイフ。このナイフは何だっただろう。装飾のメノウが輝き、私を見つめている。ふと淡い寂寥を覚えたが、それはすぐに消えた。そうだ、大事なものだ。私は、ナイフを懐にしまった。

娘はどこだ。扉をあけ、私室に戻る。
強く差し込む朝の光がひどく眩しく、嫌悪を覚えた。カーテンを閉めきると、大きいランプが一つだけ灯っている。薄暗さが心地よく、他のランプをすべて部屋の端に集めた。あとで、捨てさせよう。いらぬ。日の光もいらぬ。なにもいらぬ。妹以外は。

娘。妹。娘。妹。

私は、そなたを愛し、二人だけの世界で生きるのだ。

| 創作覚書 | 19:55 | comments(0) |
コメント
コメントする