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薄氷のフォスフォラス 三
今日は、仕事が少し早く終わった。

「あとは明日にして大丈夫ね。今日はスクールの日ではないでしょう?早めにお帰りなさいな。たまにはゆっくりと休むことが大事だわ。」

そう言ってくれたのは、神官になってからずっとお世話になっている、アナマリアさんだった。ここ二週間ほど、大きなバザーの準備に、スクールの試験もあって、ゆっくりできることが少なかった。それを知っているアナマリアさんは、私に気をつかってくださったのだろう。
ノイズ殿下は夕方からお客様との会食だから、今日は約束していない。時計を見れば、15時半。ここのところ外食が多かったから、今日はシチューでも作って老師とゆっくりいただこうかしら……そう考えて、マーケットで野菜と肉を買って帰ってきた。
 
料理は、最近ようやくまともにできるようになった。下手だった、というわけではない。熊の獣人である老師は体が大きくて、家が普通の人間サイズでは少し窮屈だそう。ビショップになってから、天井やドアが大きめの家を建てられたと聞いた。
そんなサイズのキッチンなので、背が低い子供の私には使うことができなかった。ドアは私を引き取った時にドアノブが低めのものに付け替えられ、お手洗いやお風呂は空き部屋を改築されたそうだが、キッチンは幼い私が使えないよう、そのままだった。かなり年期の入っていたそれは、昨年改装されて新しくなり、ボタンを押せば踏み台が現れるという私のための機能までつけられた。野菜の皮をむく手伝い程度しかできなかった私の世界は少し広がり、今は料理がちょっと楽しい。

ほんのりとバターの香りが漂うホワイトシチューが、鍋にたっぷりと出来上がった。豆のサラダにかけるドレッシングもできたし、パンは切るだけ。時間があったので、残り物のハムを、アナマリアさんに教えていただいたハムペーストにした。
老師は何時ごろ帰ってこられるだろう。昨日は、急に城に泊まることになったと連絡があり、今日の18時頃帰ると聞いた。時計がさすのは、18時20分。外は風が少し強く、時折窓がカタカタと鳴っている。そこに、重い靴音が混じった。この音は、老師だ。カチャリとカギの音がして、ドアが開いた。

「おかえりなさいませ、老師!夕食の支度が……」

その先の言葉を、私は紡げなかった。老師は、ひどく疲れたお顔をしていらした。

「少し遅くなったね。すまない。おいしそうな匂いだ。」

ドアを閉め、老師が笑う。でもそれは、笑顔には程遠い表情だった。

「あの……。老師、夕食より、お休みされたほうが……。」
「いや、昼を食べていないからおなかがすいているな。お前ががんばって作ってくれたんだ、今日はゆっくりいただこう。……でも、食事のあと、大事な話がある。」

老師の真剣なお顔。何かあったのだろうか。

「……はい、わかりました。シチュー、すぐに温めますわね。」

老師は頷いて、ご自分の部屋に入って行かれた。ざわつく心をなだめて、私はシチューを温めはじめた。



**********



「デュカ、お前は随分料理が上手になったね。おいしかったよ。」
「よかった……最近、お料理が楽しくなってきましたから、そう言っていただけると嬉しいです。」
「キッチンを改装した甲斐があったね。楽しい、というのは大事なことだ。」

食事が終わり、片付けをふたりでしたあと、老師がレモングラスとカモミールのブレンドティーを淹れてくださった。
いくらか表情が和らいだ老師を見て、私は少しだけほっとしていた。でも、大事な話、とはなにかしら。
じっと老師を見つめてしまった私に気付いて、老師の表情がまた真剣なものになる。

「……さっき言っていた、大事な話をしようか。」

私は、頷いて背筋をのばした。

「お前は、私の仕事がこの国にとってどういうものなのか、わかっているね。」
「はい。私たち神官をまとめ、この国の平穏を守り、国王陛下を支える……セイルーンの柱です。」
「そうだね。……私がこの国で神官になってもうすぐ60年、ふたつ前の国王にビショップに任命していただいて、43年たった。私は人間より長く生きるが、そろそろね、次のビショップを決めたいと考えていたのだ。これは何度か、お前に話したことがあったね。」

疲れも出やすくなったし、と、何度か話して頂いたことはあった。神官はもうしばらく続ける、あとはあやつが頷いてくれたらなあ、とも。そうか、次のビショップにと考えていらした神官が、老師の気持ちに答えてくれたのだ。最近は疲れ気味の老師を見ていたから、少しは楽になるのだろうかと考えると、少し嬉しくなった。

「あとを継ぐかたを決められたのですね。よかった……。長い間、ビショップのお勤めをされてきた老師は、私の誇りですわ。」

ほんの少しだけ寂しいような気持ちもあったけれど、嬉しさが大きい。おつかれさまでした、と続けようとしたが、それは本当にビショップをやめられた時に言おうと思って、やめた。
しかし、老師の表情は真剣なままで、そこには少し暗さがあった。

「……国王陛下が、後任を指名された。まだ正式なものではないが、明後日正式に発表すると。いいね、まだ正式なものではない。」

老師は少し迷い、ハーブティーを一口、渇きを潤すように口に含まれた。ティーカップをすぐに置き、私を見つめる。

「お前を……次のビショップにと、昨日話があった。」

老師が冗談を仰るなんて。珍しいこともあるものだと思った。でも、すぐに違うと思い直した。仕事の話を自宅でされることはめったにないこの方が、わざわざ、自宅で、真剣に私を見て話している。私を……?

「それは、どういう……?」
「……陛下は、お前にとても期待されている。最年少で神官見習いになり、続き最年少で神官になった。10歳の子供が、今や神官の基本的な仕事をすべてこなしている。お前は優秀であり、才能もあると。私も、そう思っている。」
「でも」
「……わかっている。だからといって、お前が突然ビショップを務めることは、ありえない。例えば、お前のいるイリアの教会のアナマリアであっても、まだまだ早い。彼女には城内での仕事経験があるが、お前にはそれも無い。まだ経験も覚悟も何もかもが足りない。」

老師の表情は、険しい。言われていることはあまりにも当然のことで、すべての神官を束ねる最高神官・ビショップの仕事が、正式に神官になってたかが2年の人間に務まるようなものではないことくらい、誰にでもわかる。だからまだ、私は何を言われているのか理解できず、老師に言葉を返せない。

「それでも、お前をビショップに、と。次の星祭まで、私とアナマリアをお前の補佐につけ、星祭が終わったら私を補佐から外す。陛下はそう考えておられる。……でもね、デュカ。これはまだ正式な命令ではないのだ。」

何も言えず老師を見つめる私を、見つめ返してくださる目。

「私はね、この国に来る前は傭兵をして生きていた。さすがにもう傭兵はできないが、様々な国を渡り歩いてきた経験があるし、旅もまだまだできる。戦うこともできるし、生まれ故郷も、遠くにある。幸いお金には困らない。この国を出ることは、不可能ではない。……お前を連れて、他の国で暮らすことができる。」

老師が昨日帰られなかったのは、きっとこれが理由だ。国王陛下のご命令でも、老師がこんなことに納得するわけがない。そもそも、まともな思考をもつ方は、こんな命令をするはずがない。うっすらとしか知らなかった状況が、はっきりとした形となって私の前につきつけられた。異常なのだ。やはり、ノイズ殿下は国王陛下の変化に悩んでいらしたのだ。老師も、陛下のお傍にいたから、わかっていらしたのだろう。
その老師が、まる1日悩まれ、今私にこの話をしてくださっている。仕えていた王、王女、長年守ったこの国、ご自分の立場。すべてを捨てても、10年一緒に暮らした私を連れてここを去ることを考えておられるのだ。それほどまでに、この方は……追い詰められているのだ。
この国を出ることなど、いちども考えたことはなかった。老師のようになりたいと思い、ビショップにはなれなくても、神官としてこの国で生きていくのが私の人生だと疑わなかった。もしもこの国を出たら、どうなるのだろう。老師と旅をし、世界中を見て回るのか。キッチンを使えるようになって広がった世界よりも、ずっとずっと広くて大きい世界を……。
……違う。たぶん、それではすまない。老師と私は、国王陛下の命令に背き、逃げることになるのだ。なぜなら追われるから。今の陛下は、きっとそれを許すことはない。追われ、人の目から逃げ、隠れて生きることになるだろう。

最高神官になるか、逃げるのか。

私を見つめる老師。その表情には、苦悩が滲んでいる。どちらを選んでも、この方は全力で私を守ろうとしてくださるだろう。その覚悟をもう決めていらっしゃる。そして、私にそれを選ばせることに、苦悩していらっしゃるんだ。
この方が後ろ指を指され、追われることも。
苦しんでおられるノイズ殿下の力になるのをやめることも。
私がビショップとして成り立つなら、すべておさまる。
私が認められれば、何の問題もないのだ。

「老師。私の目標は、あなたです。いつかは、老師のようにこの国を支えたいと思い、神官になりました。神官になっても、ビショップになれるとは限りません。でも、今私の目の前に、そのお役目が巡ってきました。」
「……デュカ。」
「ならば、私がそれを逃す理由はありませんわ。私が、ビショップとしてのお役目をきっちりと果たせば良いのです。」
「……。」

老師は、何か言おうとしていらしたが、すぐにやめられた。私ごときがこんな風に簡単に言えるような仕事ではない。でも私もそれをわかった上で言っている……そう察してくださったのだろう。

「最年少の神官見習い、最年少の神官。でしたらこの機会に、最年少の最高神官の記録も私が作りましょう。」

もちろん自信がある故の発言ではない。虚勢だ。わかっている。でも私は、この道を選ぶ。大切な人たちと自分のために、やり遂げてみせる。

「……お前は、私に似て冗談が下手だ。」

老師が、無理にくしゃりと笑って、手を伸ばし、私の頭をひと撫でした。

「次の星祭まで時間はある。アナマリアも、ビショップの補佐は大抜擢だ。私はお前たちにすべてを叩き込む。だが、私が教えられることがすべてではない。お前自身が、考えていかねばならない。」
「はい。教えていただくことを生かし、しっかりと考えるようにいたします。」
「……。わかっているだろうから、これ以上は何も言わないでおこう。お前が賢いことは、私が一番よく知っている。……だからこそ、一つだけ、今から一つだけお前に伝えることがある。」

大きな手が、私の手を包み込んだ。

「これは一度しか言わない。でも、絶対に忘れず心のどこかに残しておきなさい。……もしも、どうしてもダメになった時は、必ず私に言いなさい。いいね。」
「……はい。」

私が耐えきれなかったら。それは今考えてはいけないことだ。だけど、老師は万が一の逃げ道を私に残してくださった。私を育ててくださったこの方の気持ちに報いなければ。私は今の言葉を、心の奥底にしまった。

「明後日は正式な命令が出る。3か月後に就任式だそうだ。それまでは、私がビショップだ。2週間以内に、お前とアナマリアを私の下に異動させる。私の仕事を、しっかりと見なさい。教えられないことを、すべて吸収しなさい。」
「はい。」
「アナマリアには、オルフェが昨日伝えたそうだ。イリア地区の後任については、私が考えておく。お前はこれからのことを考えるのだよ。」

早めにお帰りなさいな、と言ってくださったアナマリアさんを思い出す。私がまだこの件を知らないことをわかっていて、いつも通りに振舞ってくださったのだ。そして、老師との時間がゆっくりとれるように気をつかってくださった。どこまでも優しいかたの心づかいを、いまさら知る。

「さあ……遅くなってしまったね、もうこんな時間だ。今日は休もう。卵を買い忘れたな、明日はフレックさんのお店で朝食にしようか。」

時計を見れば、21時を過ぎていた。さっと支度をして眠れば、明日も早く起きることができる。老師が卵を買い忘れることなんてめったにないけれど、今晩にでもこの国を出る可能性を考えて買われなかったのだろう、と思った。

「明日の朝食メニューが楽しみですわ。久々にポテトのパンケーキかも。食べたばかりなのに、おなかがすいた気がしますわね。」

そう言って笑ってみせると、老師も笑ってくださった。
お互いに無理をしているのはわかっている。
私は、必ず強くなってみせよう。虚勢を、本当のものにすれば良いんだ。
絶対に負けたりしない。そう、強く願った。
 
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