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薄氷のフォスフォラス 四
「デュカさん、今日は少しお話をしませんか?」

15時。提出された書類に問題がないことを確認し、私は小さな部下に声をかけた。

「書類に問題はありませんでしたから、今日はここまでにして、少し。たしかスクールの日だけれど……。」
「スクールには、欠席の連絡を入れていますわ。……私も、アナマリアさんとお話がしたいです。」

顔をあげたデュカさんが微笑む。事情がわかっているからこそ、その微笑みに心が締め付けられるような気がした。

「では、私はお茶を淹れますから、デュカさんには来客用の部屋の準備をお願いしてもいい?」
「はい、すぐに準備いたしますわ。」
 
書類を簡単に整理して来客用の部屋に向かう彼女を見て、私も給湯室に入った。やかんに新しい水を入れ直し、火にかける。来客用のティーセットを使おうと思い、戸棚から出した。ミルクピッチャーも出したところで、今からするのは仕事の話だということを思い出す。デュカさんは仕事中、紅茶はストレートしか飲まない。でも、仕事の硬い雰囲気で話をしたいわけでもない……。
少し迷ってからミルクピッチャーを元に戻し、ティーポットとカップをお湯で温めた。少し待ってお湯を捨て、ポットに茶葉をいれてから沸いたお湯を注ぐ。紅茶に限らず、お茶を淹れるのは好きだった。手順をまもる作業にほんの少しだけ没頭する時間は、気持ちを落ち着かせてくれる。

ティーセットをのせたトレイを来客用の部屋に運ぶと、綺麗に拭かれたテーブルに、お菓子をのせたお皿が置かれていた。

「いい香り。ありがとうございます。あ、これは昨日買ったショートブレッドですわ。一緒にと思ったので……。」
「美味しそうだわ。ありがとう、デュカさん。」

テーブルにトレイを置いて座ると、デュカさんがカップをセットしてくれた。ティーコージーをはずして、紅茶を注ぐ。華やかな香りがふくらむ。

「昨日は、お気遣いいただきありがとうございました。」

紅茶をひと口頂いたところで、デュカさんが私を見た。

「本当は、朝に言うべきだったのに、遅くなってしまってごめんなさい。」
「いいんですよ。こんな特殊な状況でしたから。……デュカさん、お話を聞いたのね。」
「はい。昨日、老師から。アナマリアさんは、ご存じだったのですね。」
「ええ。夫から聞いていました。ビショップは、当日にお帰りにならなかったそうですから、昨日の時点ではまだデュカさんは聞いていないとわかっていたので……。」
「おかげで、ゆっくりと老師とお話ができましたわ。本当にありがとうございます。」

とんでもない話が降りかかっていたものの、まさか私からデュカさんに伝えるわけにもいかず、昨日は早めに家に帰した。結果としてはその判断は間違っていなかったようだ。

「国王陛下からのお話は、受けられたのですね。」
「……はい。陛下からのご期待に応えられるよう、力を尽くすつもりです。」

陛下からのご期待。デュカさんはそう言っているが、これは期待からきた話ではない。詳しくは聞かなかったけれど、何かが起こっていることは知っている。以前から、国王陛下について一人思い悩む夫を見ていた。私たちはいま、何かに巻き込まれようとしている。
デュカさんは、そのことはわかっているだろう。でも、「そういう話」として、流れに身を任せるつもりなのだろう。きっと。10歳の子供が大人と同じように働いているという、元からして変わった環境だった。そのまま、何も知らないように振舞い、決して流されないよう生きる道を選んだのだ。

「そう、ですか。私も、がんばらないといけませんね。ビショップの教えを直接受けるなんて、滅多にあることではありませんから。」
「私も、神官としては初めてですわ。厳しい方ですから、私もしっかりとがんばります。」

顔を見合わせて、私たちは少し笑った。ほんとうは、彼女にもっと言いたいことがある。でも踏み出すことが、できない。

「そうだ。ビショップの私室が城内にあると聞いていますが、デュカさんはどうするのです?」
「ひとまずは、今までと変わらず自宅から通うつもりですわ。老師もそうでしたし、今のままで。」
「よかった。急に環境のすべてが変わるとつらいから、きっとそれがいいと思いますよ。お城で暮らすと、基本的には一人になってしまうから……。」

自宅に帰れば、ビショップがいらっしゃる。誰かがいるというだけで、人は安心するものだ。少し心配していたことだったのでほっとしたが、少し心配していたことは、もう一つ。

「スクールは……どうするのですか?夜間とはいえ、つらくなるでしょう……。」

彼女は週3回、仕事が終わってから、夜間のハイスクールに通っている。ミドルスクールの課程を修了するまでの予定だったけれど、学ぶことが楽しいから……そう言って、そのまま通い続けていた。

「ビショップの仕事との両立は、さすがに厳しいので……今週で退学しようと思っています。当初の目標のミドルスクールは、終わりましたから。」
「楽しんで通っていたのに、良いんですか、デュカさん……。」
「少し残念ですけれど、良いのです。」
「このまま……ビショップになっても。」
「はい。そう決めました。」

どうして、たった10歳の子供がこんな決断をしなくてはならないのだろう。
本当は、この子を止めたかった。なにもかも、おかしすぎる。
でも、こうやって向き合ってようやく、私が止められるものではないことを悟った。
迷いのない燐葉石の瞳が、少し潤んでいる。でも涙は流れていない。
昨日、ビショップと話し合ったうえでの決断なんだろう。もう、この子は腹を括っているのだ。

「そう……。」

彼女になんと声をかけていいのかすっかりとわからなくなって、私はうつむいてしまった。
目の前の少女を抱きしめてやりたい。そう強く思っている。
だが、それをしたら、この小さな体に張り詰めた覚悟を揺るがしてしまうことになるのではないだろうか。
だが、このまま放っておいたら、この娘は誰かに頼ることをよしとせず生きてしまうのではないだろうか。
私は迷い、結局何も言えないまま唇を噛む。アナマリアさん、と呼びかけられて、私はようやく顔を上げた。

「私をずっと見ていてくださった、アナマリアさんがいてくださいますし、老師も次の星祭までの補佐を命じられました。ですから、私は私ができる以上のことをやり遂げます。いつかは老師と同じようになりたいと思っていました。そのチャンスが早く巡ってきたのですわ。」

この子の立ち向かう覚悟を尊重し、支えるのが、私にできる唯一のことだろう。

「……アナマリアと、呼んでください。」
「アナマリアさん……?」
「あなたは、最高神官になり、私の上司になるのです。だから、私のことはアナマリアと。そして私に、部下に頼ってください。助け合うことができるのが、上司と部下のいい関係ですよ、ビショップ・デュカ。」

私は、彼女の覚悟に賭けた。
驚いた顔をしていたデュカさんは、少し目を伏せてから、もう一度私に視線を戻す。

「わかりました。でも、就任式で正式にそうなるまでは……アナマリアさんと呼ばせてくださいまし。」

デュカさんの笑顔が、私には少し寂しそうに見えた。
抱きしめて、無理をしないでと声をかけたくても、それはできない。ならばこの子がつらい思いをしなくて済むよう、精いっぱい支えよう。それが私にできることなのだから。

「もちろんですよ、デュカさん。さ、お茶とお菓子、いただいてしまいましょう。」

そう声をかけ、少し紅茶の残るカップにポットを傾ける。

「お城でも、お茶は私に淹れさせてくださいね、デュカさん。」
「はい!アナマリアさんが淹れてくださるお茶、大好きですわ。ひとつ楽しみができました。」

きっとこの楽しみは些細なものだけど、大切な時間になるから。
美味しいお茶が少しでもこの子の癒しになるように、私は願った。
| 創作覚書 | 23:48 | comments(0) |
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