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薄氷のフォスフォラス 五
17時、終業を告げる鐘を聞きながら、私は報告書に目を通していた。

先日、南の国境付近の教会で起きた夜間の火災。すぐに警備隊員と神官が駆け付けたため、怪我人もなく、教会が一部燃えただけで済んだ。原因は不明。建物の修繕、結界の夜間オートシステムの見直し、原因究明、警備の増員……ひとつの事件で、解決しなければならないことは山積みになる。同様の事件はこれで3件目。城下町でも噂になっていた。
この事件の、原因に繋がる痕跡が発見され、結界オートシステムの異常が発生したと疑われる……ということが、今目にしている報告書に書かれていた。マナとの干渉か、人為的なものなのか。これまでにはなかったことが急に発生し始めたことを考えると、おそらく人為的な何かだろう。

夜間の結界維持のための人員の派遣と、オートシステムの魔法陣の検証をする専門家の派遣は済んだ。検証は今夜行われる予定だから、明日には報告が上がってくるはず。国王陛下への報告は、明日まとめよう。城内の結界の担当への書類を書き終え、封筒にまとめる。今日できる事はこれで終わった。
 
時計を見れば、18時前。今日は、アナマリアは休みで居ない。ビショップになってからはじめての星祭もとうに終え、老師は最高神官補佐を退かれ、城下街の教会にいらっしゃる。今日の執務室は人の訪れもあまりなく、ほとんどひとりだった。
自分で淹れた、すっかり冷めきった紅茶を飲み干す。やっぱり、アナマリアが淹れてくれたもののほうが美味しいと思う。
平和な国であっても、問題が無いわけではなく、あちこちに気を配り、考え、めまぐるしく過ぎる日々。ビショップとなって1年と少し、最初は死に物狂いでしていた仕事も、イレギュラーな事がなければある程度余裕をもってこなせるようになってきた。これはひとえに、老師の厳しい指導と、アナマリアの的確な補佐業務、関わる人々の気遣いのおかげだった。だからこそ、私はもっと成長しなくては。それらしく振舞ってもまだまだ名前だけのビショップだから、もっともっと相応しい力をつけなくては。年齢なんて関係なく、私自身がビショップとして認められなくては。

マグカップを片付け、机を整理したところで、ノックの音が響いた。
この時間だと、国王陛下の側近だろうか。
彼らは、古くから国王陛下に仕えていた貴族の末裔だが、現在のセイルーン小国において、貴族はそこまで大きな力は持っていない。昔の名残で彼らは存在し、一国民として働いている。けれど数年前に国王陛下が、シルヴィア伯を筆頭とした数名の側近に権限を与えて急に力を持ち、政治に口を出すようになってきた……と、ノイズ殿下から伺っている。
老師が補佐を退いて以降、終業後にその彼らからのお小言を聞くことは、日課のようになっていた。はじめは失敗も多く、申し訳ないと感じていたけれど、何も問題が無くても内容が無いお小言を言いに来られることに気づいてからは、これは嫌がらせなのだと知った。よくあれだけあら捜しができるものだ、と思う。
今日はノイズ殿下とのお約束もないので、切り上げづらい。大人しく聞いておくしかない……そう覚悟したけれど、執務室に入ってきたのはひとりの警備隊員だった。

「ビショップ、お疲れ様です。国王陛下がお呼びです。陛下の執務室にいらっしゃると。」
「お疲れ様です。すぐ届けなければならない書類がありますので、10分後にはお伺いできますわ。」
「では、そのように陛下にお伝えいたしますね。失礼いたします。」

警備隊員はすぐに戻っていった。私はマントと制帽を身に着け、書類を手にする。
国王陛下からのこの時間の呼び出しは珍しいことだ。近ごろは執務室にいらっしゃるのはノイズ殿下であることも多く、陛下と顔をあわせることはそこまで多くない。必要最低限の仕事の話しかできないので、陛下に何が起きているのかは未だに掴めておらず、その冷たい眼差しもあって、お会いするのは苦手だった。でも、私をビショップに、という命令を下されたのは他でもない陛下だ。前代未聞の判断を下した陛下の状況が把握できれば、ノイズ殿下のお力にもなれるかもしれない。
執務室に鍵をかけ、まずは書類を届けるために結界担当のいる部屋へと足を運んだ。



**********



「失礼いたします。国王陛下、お呼びでしょうか。」

国王の執務室の扉番のひとりは、先ほど私を呼びに来た警備隊員だった。扉を開けてもらい、執務室に入る。

「ご苦労。ああ、そなたは出てよいぞ。」

薄暗い執務室の大きな机に向かっていらした陛下は、こちらを見られた。警備隊員に退出を促し、扉が閉められた部屋にいるのは私と陛下だけになる。いつもの冷たい眼差しに緊張する。

「ビショップとして、しっかりとやっていけているようだな。」
「恐れ入ります。周りの方々に助けられてやっていけておりますわ。精進いたします。」
「そなたの評判は悪くない。誰もが考えていた以上の働きをしている。……私の目には狂いがあったようだ。」

言葉の真意を捉えられず、私はすぐに返事ができなかった。陛下は変わらず冷たく私を見ておられる。

「……驕ることなく、仕事に向かいたいと考えております。」
「来年の星祭では、ベルンハルトの助けは無い。そなたに、やり遂げることはできるか?」
「はい。全力をもってやり遂げますわ。」

陛下は、私に何を求めておられるのだろう。冷たい眼差しからは、何も読み取ることはできず、このお方が何を考えていらっしゃるのかが、まったくわからない。
しばらく私を眺めた後、陛下は椅子から立ち上がられた。机をまわりこちらへ近づかれるので、私は頭を下げる。

「ベルンハルトを補佐から外したあと、そなたは荷の重さで勝手に潰れると考えていたのだが。なかなかうまくはゆかぬものだな。」
「……陛下……?」

穏やかな声色とは裏腹の言葉に、私は思わず顔を上げる。冷たい眼差しはそのまま、陛下は口の端をゆがめておられた。

「その上、ビショップとなってからは娘と共に居ることが増えてしまった。そなたに仕事を積めば、引き離せると思ってこの地位を与えたというのに。」

突然明かされた真実に、私は言葉を失った。そんなことのために私をビショップにしたと、このお方は仰っているのか?

「最初からベルンハルトを外すべきだったか?そうすればそなたはすぐに潰れておったかもしれぬ。情けをかけたのが失敗だったか。」

陛下にこのように思われる覚えなんてない。そして、そのような私情を政治に持ち込む理由もわからない。
何も言えない私を、冷たく見下ろされる陛下。

「辺境の火災騒ぎも、揺さぶりをかけるつもりで仕掛けさせたが……大して効果がなかったのが残念だ。」

辺境の火災騒ぎ……?つい先ほど目を通した報告書を思い出す。立て続けに3件起こった火災。それを、仕掛けた?

「……あの、火災を……陛下が……?」
「そうだ。そなたらが的確に動いたおかげで、大事には至っておらぬ。優秀なことだ。」

とまっていた思考が急に動きはじめる。怒りのような感情がわき、目の前の方が国王陛下であることを忘れて私は声を荒げた。

「国民に犠牲が出たら、どうなさるおつもりなのですか!?」
「出ぬようにしておったし、仮に出たならば仕方のないことだ。」

こともなげにそう仰った陛下が信じられなかった。私に、立派な神官になれと笑って下さったお方だった。そのお方が、国民の犠牲を仕方ないなどと言うはずがない。もしや、今目の前におられる陛下は本当の陛下ではないのでは、とすら考えた。そうであってほしい。
再び言葉を失った私に、陛下の追い打ちがかかる。

「国民も、国もどうでもよい。ビショップ・デュカよ。私は、娘さえいれば良いのだ。あれを抱きしめ、愛してやらねばならんのだよ。そうだ、私たちは愛し合うのだ。それだけが私の望みだ。そなたは私から娘を奪う。邪魔なのだよ。」

おおよそ娘への言葉とは思えないそれに、背筋が凍る。

「陛下は、ノイズ殿下の、お父上で」
「そんなことはわかっている。あれはな、きっと愛する妹の生まれ変わりなのだ。私と愛する妹の血を受け継ぎ、娘は妹によく似た……。妹……娘……息子は、そうだ息子はどこに行ったのだったか……?」

いつのまにか身を屈められ、目の前に迫っていた陛下のお顔。その赤い瞳に、恐ろしい何かが宿っている。しかし、焦点は合っておらず、私のことは見ていなかった。ヴィンヤードの魔力が立ち昇り、その色の中に一筋の白が混ざっている。瞳の奥の白がゆらめき、陛下は眉をひそめ、額を押さえて立ち上がる。固まったままの私を一瞥したあと、急に興味を失ったように椅子へと戻られた。

「ああ、何だったかな?もう良いぞ、下がれ。そして早く逃げ出すがよい。」

失礼いたします、となんとか言葉にして、私は国王の執務室を出た。扉番をしていた警備隊員が「お疲れ様でした、ビショップ」と声をかけてくれた。私は平静を装って微笑み、その場を去る。カギ、鍵を持っていたはずだ。城内の、ビショップの私室の鍵を。
城の階段を上りながら、腰に下げていた鍵束を取り外す。廊下を歩き、奥にある扉。その中央にはめ込まれている珊瑚色の石に手をかざして、鍵を開け、自室に入り、静かに扉を閉めた。鍵をかける音がいやに耳に響く。
急に緊張が抜け、扉の前に座り込んだ。心臓がばくばくとうるさい。とてもではないが、今日は自宅に帰る気にはならなかった。

陛下に起こっていた変化は、変化などという生易しいものではなかった。

国王陛下は、ノイズ殿下と共に居ることの多い、私を憎んでおられる。
その私を潰すため、国の事など考えず私情で私をビショップにした。
国民に被害が及ぶかもしれない事を、平気で行う。
陛下は娘のノイズ殿下を、娘ではなく女性として見ている。
ノイズ殿下は陛下と王妃殿下の娘ではなく、陛下とその妹君との間に生まれた娘。
陛下には、息子が存在する。

何が、いつから、どうして。
得た情報の整理などできず、私は昔のお優しい陛下を思い出した。娘を慈しむ父親の姿は、実の親を知らない私にはとても美しく映っていた。あれはきっと誠だった。では、陛下はいつから。お優しい陛下は、もういらっしゃらないのか。

陛下の瞳の奥の白い狂気の炎。いつからあんな目をされるようになったのだろう。ノイズ殿下が髪を切られた、あのあたりだろうか。あの日は、殿下の頬に呪印が刻まれた日だ。まさか、あの呪印も、陛下が関わっておられるのではないか。真実かどうかはわからないのに、すべてが繋がってしまう。
あの陛下と一緒にいる時間を減らすため、ノイズ殿下は私と一緒にいることを望んでおられたのだろう。
こんなことを思うのは恐ろしいことだけれど、国王陛下は正気ではない。国王の責務を放棄し、国などどうでもよいとはっきりと言葉にし、実の娘を女性として、いや、実の娘を通じてかつて愛した人間を見ておられるのだ。

老師や、警備隊長のオルフェさんが、国王陛下の何かに気づいていることは薄々知っていた。しかし、どこまで彼らが把握しているのかはわからないし、聞けない。ここまで知っているのは私だけかもしれない。
殿下は、ずっとこのことを表に出ないよう振舞ってこられた。私が知ってしまった以上、このことは誰かに知られてはならない。殿下は必死に隠してこられたのだ。

私は、この国を守りたい。国民と国を捨てるのは、他でもない国王。
私は、殿下をお守りしたい。お守りできるのは私だけかもしれない。
このことは絶対に誰にも知られてはならない。殿下にも、誰にも。

ようやく、心臓の音がおちついた。ランプのついていない真っ暗な部屋に目は慣れたが、今は無性に光が欲しかった。
一番近いランプに魔力を送り、火を灯す。広い部屋が淡く彩られ、美しい意匠の壁や天井が浮かび上がった。置かれている最低限の調度品は上等の品物だが、人が使っている様子はほとんどない。この部屋が使えるのは私だけで、私が滅多に使わないからだ。

私は、はっとした。この部屋は、ビショップが使い、住むことが許されている。ノイズ殿下に何かあれば私が駆け付けることができる近さで、いつでも逃げ込んでいただける場所。国王陛下の狂気から、殿下をお守りすることが容易くなる。そして、国王陛下の行動を見ることも容易くなる。そういえば、殿下から何度か城に住まないかと誘われていたのだ。
この部屋に、住めばいい。11年一緒に暮らした老師の下を離れるのは寂しいけれど、家も教会も城から離れてはいないからすぐにお会いできる。

そう決めたら、あとは簡単だった。
おかしくなられた国王陛下から、国民を、この国を、王女を守る。
どんな経緯で手に入れた地位だとしても、私はこの国のビショップなのだから。
| 創作覚書 | 10:40 | comments(0) |
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